ひま子の不登校卒業日記。

私が不登校を卒業した話をします。

よかったこと。

学校を休んで1週間。担任に保健室登校を勧められた。1人で学校に行くのはもう怖いから、みんなが授業中の朝9時に裏門を回って保健室へ入った。

保健室といっても、保健室の横に別室がある。この学校は不登校に慣れているのか。不登校専用の牢屋のようなものがあった。冗談ではなく、割とマジで牢屋である。壁は全てコンクリ、窓はあるが開かない。先生が監視できるように覗き窓もついていて、席は4つ。ふうん、へえ。

行く行かないを頭から切り離し、そう思っていた。

 

 

 

あれ?

 

 

 

 

顔見知りがいた。

小学校の1つ上の学年の人。

妹が、その人の弟と同じクラスだ。

 

「……ひま子さん?」

「あ、そうです。」

「久しぶりです。ニー子です。」

 

とりあえずニートのような生活を送っていた人だから、ニー子とする。

今日はこのまま勉強して帰る、と、母と先生が帰ったのを見てニー子とLINEを交換した。ニー子と喋った。話があった。ツムツムのような上から目線もなく、普通だった。

ニー子がいるなら、明日も行こうかな。

ニー子と12時、ここで待ち合わせをした。

 

翌日、ニー子より早く来た。

11時なのだけど、ニー子はどうやら時間丁度にくるタイプのようだ。

 

「ひま子〜!」

 

担任だ。敵だ。

 

「デブとシャクレたちが謝りたいらしいんだけど、そこに来てるから、来て!」

 

問答無用で、会いたくもない醜面の前に立たされた。「おわびのおてがみ」を渡された。ひとりひとり謝られた。

違う。そうじゃない。

私は何をしたとしてもお前らを許さない。

担任は、「明日、教室で待ってる。」と言って去った。

時間が長かった。

牢屋に戻るとニー子がいた。

「ごめんなさい、私、今日は帰ります。」

なぜかニー子は敬語だから、私も敬語で話すことにした。

「じゃあ私も帰ります。」

 

助かった。

 

一緒に下校はダメだと保健室の先生(めっちゃ美人)に怒られ、帰る時間を10分ずらした。

ニー子は自転車通学だから、駐輪場で待った。ニー子が来る。

バス停まで一緒に帰った。やはりニー子は話が合う。

出席も取れるんだし、別に教室じゃなくてこっちでいいや。

私は保健室通学することに決めた。

しかし、担任は毎日毎日「教室に来い」と言いに来た。段々とそれが恐怖になり、保健室通学できなくなった。ニー子も毎日保健室に来ている訳ではなく、LINEで待ち合わせをして、毎日朝から原宿だとか渋谷だとか、人混みに紛れて生活することになった。学校に行けたらそれで良いけど、担任が怖い。担任は温室育ちのお嬢様というもので、おそらくSの内部進学生で大学まで出ている。ああ、こいつにはわかんねーんだろーな。

そう割り切ったら楽だけど、担任に会うのはめんどくさいから、やっぱり学校に行かなかった。

1学期はこんな感じで毎日ほっつき歩き、2学期前の夏休み、なんかもうSに通うのが苦痛で辞めたいと思った。別に通ってないし。母は別にいいと言った。でも、父は大反対だった。

まあそうだわな。学費は帰ってくるけど、名前だけでもSに通う娘だもんね。自分の出身大学の付属に通う親孝行な娘なんて肩書きを失いたくない。既に自慢してたらしいし。完全に頭からイっちゃってた私は、辞められないなら死ぬと言い、実際にS前駅構内をふらついて、特急に飛び込もうと企んだ。

証拠が欲しいからな、駅の床に赤の油性ペンでデブたちの名前を書いてから死のうかな、なんて今もたまに考える。

きっと死ぬ時はそうするだろうなー。今もこれは変わらない。

 

結局、Sはやめた。確実に父娘関係は悪化した。うん。最近登校してたらまあ良くなってきたけどさ。不登校の人、親との溝は覚悟だぜ…。

 

Sをやめて、地元中に行くことになった。でも、行けなくなった。

クラスメイトがもう信じられない。今までみたいに1軍に戻りたくても、今までの友達には新しい友達がいて、声を掛けづらい。この学校には私の居場所はない。あ、あと教室がSに似てた。ということで、私はまた1年、相変わらず街をニー子とふらつく不登校になったのである。

 

 

不登校になって、中二になって。

担任が変わり、適応教室を勧められた。

行くことになった。ここでのほかの不登校との出会いが、私の不登校人生を変えることになる…。